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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)1497号 判決

原告 須崎敏次

右代理人弁護士 水上喜景

同 江口保夫

被告 中西福子

右代理人弁護士 伊藤武

主文

1、被告は原告に対し昭和二九年一〇月一〇日から昭和三一年一一月三〇日までの月二三、〇〇〇円の割合による金員を支払わねばならない。

2、原告のその余の請求を棄却する。

3、訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その一を被告の各負担とする。

4、この判決は原告の勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

5、被告が原告において執行しようとする債権額と同額の担保を供するときは前項の仮執行を免れることができる。

事実

≪省略≫

理由

1、被告が原告主張の本件貸室を原告主張のとおり、同貸室の属する本件建物所有者であつた訴外日本相互投資株式会社から賃借していたことおよびその後同建物所有権が訴外渡辺容志に譲渡され、同訴外人が被告に対する右貸室についての賃貸人としての地位を承継し、同両者の間に右賃貸借関係が生じたことは当事者間に争がない。

2、その後、原告がその主張のとおりの経過で本件建物所有権を取得したことは、他に反証とすべきものがないので、成立に争のない甲第一号証、証人水上喜景の証言および原告本人尋問の結果によつて本件訴訟の当事者の関係においても、これを認めるの外はない。

3、ところで、家屋所有者がその家屋を他に賃貸し、賃借人がこれを占有している場合にその家屋所有権を取得した者は当然に右賃貸借を承継するものではなく、賃借人において右新所有者の賃貸人としての地位の承継を明示的、黙示的に承諾し、或は旧所有者との従前の賃貸借を以つて対抗した場合に限つて、右承継が生ずるものと解すべきである。けだし、これが債権関係である賃貸借一般の法理であり、そう解しなければ、賃借人はその好まない新所有者から家屋を賃借する義務を強制される結果となるからであつて、借家法第一条第一項の趣旨は賃借人保護の趣旨からも、その立言方法(物権を取得したる者に対し云々)からも、借家人の側からの対抗権限を認めたに過ぎず、右のような借家人に対する義務を強制するものとは考えられず、同法条は民法第六〇五条と同様、以上の趣旨における借家人の保護以上のことを規定するものとは解されないからである。この場合、新所有者は所有権とともに当然に賃貸人の地位を承継し、借家人は新所有者との賃貸借関係を欲しないならば、一旦新所有者との間に生じた賃貸借上の借家権を任意に放棄することができるとする考方もあり得るが、賃借人は賃借の義務をも負担するもので、借家関係に限つてその義務を一方的に免れ得るとする理由はなく、そのような場合には借家人から新所有者に対する前記法条による対抗の権利を放棄するか、新所有者による賃貸借承継を拒絶するか、場合によりしばらくそれを留保することができ、それで足りる筈である。また、そのようにして新所有者との間に賃貸借関係を承継させないでなお従前の借家を占有している借家人は不法占有の責任を敢て負担するものであり、もしも、新所有者に対し賃貸借関係承継についての承諾または賃貸借の対抗の意思表示をすることによつて右不法占有関係は止み、以後は新所有者との間に従前の旧所有者との間の賃貸借関係を承継させることになり、右留保の間は、新所有者から右借家人に対して借家の明渡を求める等の方法で借家人の右留保を止めさせる手段もあろう。なお、賃貸人である家屋所有者の交替について借家人に疑問があれば、賃料を供託することによつて借家人の義務を果す途があるけれども、その方法は賃貸借における綜合的な権利義務のうちの借家人の一部義務履行を解決する一手段であるというだけで、例えば借家人からの借家の修繕請求をどのようにすればよいのか等の疑問があり、賃貸人の交替について紛争のある場合における賃借人との間の権利関係の規制は右供託の制度だけで解決され得ない。

本件についてみると、成立に争のない甲第二ないし第四号証、の各一、二、証人水上喜景、渡辺容志、長嶋良太の各証言、原被告各本人尋問の結果を綜合すると、被告と訴外日本相互投資株式会社との間の前記賃貸借関係は被告と訴外渡辺容志との間に引き継がれたことは前記のとおりであるが、その後原告および訴外太田清が本件建物の所有権を取得する以前、右訴外会社から訴外渡辺に対し本件建物所有権移転の効力を争つてなお同所有権が同訴外会社に属するものとして訴訟が提起され、次いでその訴訟中に原告および訴外太田が訴外渡辺に対する債権の代物弁済として同訴外人から右建物所有権を取得したとして共同で両訴訟に参加し、訴外渡辺はその参加人等の主張を争い、その後昭和三一年一一月頃まで右三面訴訟が続けられたこと、右三面訴訟の係属中に原告および訴外太田は右建物所有権取得を理由に被告に対して前記訴外渡辺と被告との間の本件貸室賃貸借契約の承継を主張し、原告が本訴で主張する賃料支払催告および条件附契約解除の通知をしたが、一方訴外渡辺は被告に対し、その後も依然として右建物の所有者であるから右原告等の賃料支払催告に応ずることなく引き続いて同訴外人方に賃料を支払うよう、前記訴訟の経緯、内容等も知らせて請求したので、被告は原告等を賃貸人と認めないでなお昭和三一年五月分まで賃料を右訴外人に支払い(一部は反対債権で相殺勘定した。)同年一一月中前記三面訴訟が裁判上の和解によつて終了し、同和解において本件建物所有権が原告及び訴外太田に属することに同訴訟の当事者間で確認された後、始めて原告等を賃貸人として認めることとなつたこと等が認められ、他に右認定を覆すことのできる証拠はない。

したがつて、原告および訴外太田が被告に対して前記賃料支払の催告をした頃は被告において本件貸室についての賃貸借を原告等に対して対抗する意思表示も、その原告等の承継に対する承諾もしていなかつたのであつて強いていえば、右対抗の意思表示または承諾を、原告等の本件建物所有権取得に疑を持つてなお留保していたともいえるので、原告および訴外太田と被告との間には本件貸室についての賃貸借関係は存在していなかつたというの外はない。

そうとすれば、原告等の右賃料支払催告当時被告との間に本件貸室についての賃貸借関係が存在していたことを前提とする同契約解除の主張は理由がなく、それを原因とする右貸室の明渡請求を容れることはできない。

4、そこで、原告の賃料および損害金の請求について検討するのに、被告が本件貸室を昭和二九年五月一日以前から引き続いて占有していることは弁論の全趣旨によつて明であるが、昭和三一年一一月中までは原告および訴外太田との間に同貸室についての賃貸借関係が存在していなかつたことおよび同月中同賃貸借関係が生じたことは前説明によつて明であるから、原告が請求する昭和二九年五月一日から同年一〇月九日までの賃料の請求権、昭和三一年一二月一日以降の損害金の請求がいずれもその理由を欠くことも明である。そして原告および訴外太田に対して本件貸室についての賃貸借関係の生じた日は昭和三一年一一月中の何日であるかは明でなく、その立証は被告においてすべきものであるにかかわらずその立証がないのであるから賃料または損害金の関係では、被告は同月末日までは権原がなくて同貸室を占有していたとするの外はなく、特別の事情がない限り被告の昭和二九年一〇月一〇日以降昭和三一年一一月末日までの右無権原占有について損害金支払義務の有無を判断すべきこととなる。

被告は前認定のような事情で訴外渡辺を本件貸室の所有者であり賃貸人であると信じ昭和三一年五月分までの賃料は同訴外人に支払済で、これは賃料債権の準占有者に対する弁済として有効であり、その限度において原告等に対する損害金の支払を免れるものであると主張するが、原告および訴外太田が昭和二九年五月一日本件建物の所有権取得登記をしたこと及び同人等が原告主張のとおり賃料支払の催告をしたことは前認定のとおりでありその外にもしばしば同人等から右賃料支払の請求があつたことは証人水上喜景の証言及び原告本人尋問の結果によつて認められるから、被告がたとえ原告等の右所有権取得に疑を持つたからといつても、前記訴外渡辺をなお同建物の所有者であり依然として賃貸人であるとして賃料の支払をしたのは善意の弁済であるとはいい得ず、自己の責任において訴外渡辺の言を正しいものと判断し、敢て危険を犯して同訴外人に対し賃料の支払を継続したものとするの外はないので、被告の右主張はさらに判断するまでもなく失当で採用の限りでない。

また、右判断のとおりであるから被告が本件貸室を前記期間無権原で占有したのは、やはり自己の判断に基いてあえて原告等を正当な所有者でないとして同人等との間に賃貸借関係を主張しなかつたからであるから、結果において少くとも過失のある不法占有をしたものというべきである。

したがつて、被告は原告および訴外太田に対して前記権原のない占有期間中それによつて同人等に対して与えた損害を賠償すべきものであるところ原告がその主張の頃訴外太田から本件建物の共有持分とともに右損害金請求債権の持分をも譲り受けたことは成立に争のない甲第一号証、証人水上喜景の証言及び原告本人尋問の結果によつてこれを認めることができ、本件貸室賃料が昭和二九年五月以前から一ヶ月二三、〇〇〇円であることは当事者間に争がないので、被告は原告に対し昭和二九年一〇月一〇日以降昭和三一年一一月三〇日まで一ヶ月二三、〇〇〇円の割合の損害金を支払うべき義務があることになる。

5、以上のとおりであるから、他の争点の判断はその必要がなく、右被告の損害金支払義務の範囲で原告の請求を正当として認容し、その余の請求を失当として棄却することとし、民事訴訟法第九二条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 畔上英治)

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